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パイオニア100年後も選ばれつづけるために、時代と歩みを揃えていく。 京都の老舗・聖護院八ッ橋総本店、鈴鹿可奈子さんインタビュー(前編)

2017.01.04

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100年後も選ばれつづけるために、時代と歩みを揃えていく。 京都の老舗・聖護院八ッ橋総本店、鈴鹿可奈子さんインタビュー(前編)
京みやげの代名詞として知られる「聖護院八ッ橋」。その歴史は古く、元禄2年(1689年)にまでさかのぼります。327年続く老舗の未来を担うのが、株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役の鈴鹿可奈子さん。生八ッ橋の新ブランド「nikiniki」を立ち上げるなど、老舗に新風を吹き込んだ話題の人物です。

入社10年の節目を迎えた鈴鹿さんに、次期経営者として今の思いを語っていただきました。鈴鹿さんから語られる、当主であり経営者でもあるお父様とのエピソードから、日々の暮らしの中で父から子へと自然に継承される、老舗企業の経営者としてのあり方が伺えます。

「人を大事にする」父の背中を見て育った少女時代

鈴鹿可奈子さんは、同社社長・鈴鹿且久氏のひとり娘。物心つく頃には、聖護院八ッ橋総本店に出入りしていたそうです。京都の食に関わる老舗中の老舗が集まる「百味会」、京都の大きな神社仏閣などに老舗30軒が集い、自慢の逸品を展示する「洛趣会」、八ッ橋の由来となる人物・八橋検校(やつはし・けんぎょう)の法要「八橋忌」など、大切な顧客や得意先を迎える公式行事にも参加。その際に顔を合わせる老舗の後継者たちとも、子ども時代からごく自然に交流を重ねてこられました。

 

――鈴鹿さんは、幼いころから跡継ぎとして見られてきたのではないでしょうか。周囲のお友達が「将来は○○になりたい」と自由に夢を見るなかで、自らの境遇とのギャップを感じることはありませんでしたか?

 

それは、あまりなかったんです。みんなが「○○になりたい」と言っているのと同じように、小さい頃から「私は八ッ橋屋さんになりたい」と考えていました。両親も、周囲の方たちも口に出して「跡継ぎだから」とは特に言いませんでしたね。

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――娘の目から見て、社長であるお父様はどんな風に見えていましたか?

 

「父はみんなのことを考えている人なんだ」と理解していました。お店に行くと社員みなさんが父に挨拶をしてくれていましたし、父も社員全員の名前はもちろん、「この人には何歳のお子さんがいる」「この人は去年結婚した」と、一人ひとりを深く知っていて、声をかけるのを目にしていましたから。

 

父は、社内では役職の上下に関係なく「さん」と敬称をつけて呼び合うことを徹底させています。呼び捨てにすると、後に続く言葉もぞんざいになってしまうからです。たとえ怒っているときでも、「○○さん」と呼びかけたら少し冷静になって、ていねいな言葉づかいが生まれてきます。こうした言葉ひとつで社内の空気は作られていきますし、小さな積み重ねが社風になっていくのだと思うのです。

 

――長い歴史のなかで、時代に合わせて社風も変化してきたのではないでしょうか。現在の社風をどのように見ておられますか?

 

父が子どもの頃は、本店に自宅もあったので、夕食は社員のみなさんと一緒に食べていたのだと聞いています。祖父は「社員ががんばっているのに、私たちだけが食べるわけにはいかない」と、残業があるときも社員のみなさんが仕事を終えるまで必ず待たせたのだそうです。

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今は、当時のように住み込みの方もいらっしゃいませんし、みなさんの働き方も時代とともに変わってきています。昔は、仕事の後に全員参加の飲み会を開くのが社員の楽しみでもあったそうですが、今は他にたくさんの娯楽もあります。大きな家族のような温かさを残しながら、どうしたら一人ひとりが楽しく仕事ができて、社員のみなさんに「この仕事が好きです」と言ってもらえるか。これからは、そういうことを考えていかなければいけないと思っています。

心のこもっていないマナーでは相手に伝わらない

鈴鹿さんは、同志社中学校・高等学校で学んだ後、京都大学経済学部に進学。在学中には、カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学し、PreMBA(MBA準備プログラム)で経営、人事、マーケティング、財務管理を専攻されました。大学卒業後は株式会社帝国データバンクに入社。社会人としての基礎と経営学の知識を身につけて、株式会社聖護院八ッ橋総本店に入社されたのは2006年のことでした。

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――入社されて、はじめにお父様に教わったのはどんなことでしたか?

 

挨拶のしかたです。別の会社で社会人を経験して、名刺交換のルールやマナーに関しては、しっかり身に付けていました。だけど、父は「それでは足りない。もっとちゃんとしなさい」と言う。「ちゃんと挨拶しているのに、何が悪いの?」と思いましたね(笑)。「間違っていないはずなのに」という気持ちが先に立って、素直に耳を傾けられなかったんです。

 

でも、父が言いたかったのは、型通りの正しさではなく、気持ちの問題。「本当に今、目の前にいる人のことをちゃんと見ているか?」ということだったんです。今なら、当時の私が目の前にいたら、私も父と同じことを言いますね。今、自分は何をしているのかをきちんと見て、相手と向き合って話すことが一番大事だと思います。

 

――社長とは、これまで様々な局面で意見を出し合い、議論を重ねられてきたと思います。意見が平行線をたどるときは、どんな風にご自身を納得させていますか。

 

性格上、私も納得できないことがあると納得できるまで聞いてしまうんですよね。質問をして教えてもらうことの繰り返しです。まだまだ、教えてもらうべきことはたくさんありますから、私は父に問い続けるでしょうし、父もまた答え続けてくれるのだろうと思います。

 

話し合いのなかでは、私の意見が一部採用されることもありますし、私が父の意見に従って引くこともあります。そのときは納得していなくても、後になって「なるほど」と腑に落ちることもあります。形はいろいろですが、基本的には納得いくまで話し合いを続けるようにしています。

 

――社長は、上司であると同時に父。家族であっても、会社でも自宅でも顔を合わせつづける関係に難しさはありませんか。

 

たしかに難しいです。特に、会社で意見が合わないときに、家に帰ってそのまま一緒にいるというのは……。私の周りでも、家族で企業を経営する人のなかには、少し距離をとるために一人暮らしを始めた人も少なくありません。私と父の場合は、会社での話し合いを無理に家で続けることはしないようにしています。お互いに自分の部屋で過ごして、冷静になる時間を持つことを自然にするようになりましたね。

 

――そういうとき、お母様はどうされているのですか?

 

母は困って、間を取り持とうとしています(笑)。私の部屋に来て「さっきのあなたの言っていたことは、理屈では正しいと思うけれど、あなたのこの部分が気に触ったのじゃないかしらね。そこについては謝ったほうがいいんじゃない?」とフォローしてくれて。おそらく、父にも「あなたの言うことは正しいけれど、ああいう言い方をしたらかわいそうよ?」とか言ってくれているのではないかと想像しています。

 

――一方で、家族として生活をともにしながら経営に携わるという、ファミリー企業ならではの良さもあるのでしょうか?

 

そうですね。後になって父の意見に納得したときなどは、家族の時間のなかで「言ってもらえて本当によかった」と伝えています。また、父のほうも「あのとき指摘してくれて助かったよ」と話してくれることもあります。納得できたときにその気持ちを伝え合うことは大切ですし、それを自然にできる家族の時間があることが、家族で経営する企業の良さだと思いますね。

 


 

300年以上続く老舗の次代を担う、鈴鹿可奈子さん。前編では幼少期から今に至るまで、当主であるお父様との関わりを軸にお話を伺いました。何気ない日々のやり取りを通じ、老舗の経営者としての心構えが、着実に受け継がれています。

次回インタビュー後編では、鈴鹿さんが立ち上げたブランド「nikiniki」のエピソードをはじめ、次期経営者としての、より具体的なビジョンに迫ります。

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杉本 恭子 / Sugimoto Kyoko

フリーライター

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